とうとう、今月も終わりだ。
そうだ、振り返りをしないと。
来年の手帖生活を充実さすため、いまから手帖習慣を身に付けたいと思っている。
ふと子供の頃のことを思い出した。
小学生の頃、文通が流行った。
私もペンフレンドが欲しくて、漫画雑誌に載っていたペンフレンド募集のコーナーから、少し年上の女の子に手紙を書いた。
子供の頃から手紙や日記を書くのが好きだった。
続きはしないのだけれど。
今となっては考えられないけれど、当時は雑誌に個人の住所も名前も掲載されていたのだ。
編集社を通してではなく、そこに直接手紙を送るシステムだった。
すごいよね、今は意図せずとも個人のちょっとした情報が流れただけでもギャーギャー言う時代なのに、当時は自ら希望して名前と住所と年齢を公表してもらっていたのだから。
当時は当時で、一読者のペンフレンド探しに編集社が仲介に入ることなんて考えられなかったんだろうな。
そう思うと、今、メルカリなんかでお互いの個人情報を知らせずやり取りができるシステムができたのはすごいことだと思う。
家と学校がコミュニティの全ての田舎の小学生にとって、学校以外に、学校のみんなが知らない友達がいるというのはカッコよかった。
隣の学校に従兄弟や知り合いがいるだけでもちょっと羨ましかった。
※私は従兄弟も同じ学校だった。
それが、県外の遠い遠いところに住む少し年上の女の子となれば、かなりイケていた。
遠く離れたみんなの知らない年上の女の子がペンフレンド、というのは友達に自慢したくなるようなことだった。
募集のコメントには、返信用の切手を同封してね。と書いてあった。
文通をするのに、一方がお金を負担するの??対等な関係ではないの??
子供ながらに少し疑問に思ったが、人気の漫画雑誌でペンフレンドを募集したらたくさんの手紙が届いて、最初のお返事にたくさんお金がかかって大変なのかなと思った。
たくさん届く手紙の中から、気の合いそうな子を選んで文通を始める。今回はごめんなさい、って子にもお断りの返事を送らないといけないから、初回は合否の返信用に切手を同封してくれ、ということなのかと思った。
たぶん、一番のお気に入りの便箋を使っただろう。この子と文通したいと思われたい。
たぶん、自己紹介を書いたんだと思う。
何人兄弟だとか、光GENJIの誰のファンだとか、そんなことを書いたかも知れない。
身長は何センチとか少し見栄を張ったかも知れない。子供の頃は身長が何センチであるかは大事であった。
私は小さかったので、ままごとでは良くて妹、悪くてペット、最悪が赤ちゃん。赤ちゃんはずっとボスママのそばにいないといけない。セリフはない。
もちろんお母さん役は回ってこない。
だからちょっと身長を高く書いたかも知れない。
足が早かったので、50メートル走を何秒で走れるか書いたかも知れない。
どんな手紙を送ったのかは覚えてないけれど、返事が来た。嬉しかった。
内容は覚えていない、だけどきっと向こうも自己紹介なんかして、文通が始まることになったんだと思う。
早速、2通目を書いた。
今度は切手は同封しなかった。私と彼女はペンフレンドなんだから、2人の文通が始まったのだから。
だけど、次に届いた手紙には切手が貼られていなかった。受け取った母が切手代を払った。
遠い住所の知らない名前の子から娘宛に切手のない手紙が届いた。
母は素性の知れない子から娘宛に届いた切手のない手紙に怪訝そうではあった。
私は、まさかずっと切手を送らないといけないの?これって文通??とは思ったが、初めてできたペンフレンドを悪く思うこともできず、気にしないことにした。
小学生の私に往復の切手代は馬鹿にできないものだったので、次の手紙にも切手は同封しなかった。
次に届いた手紙にもやっぱり切手は貼られていなかった。
母は、またこんな手紙が届いたよ、と怒っていた。
切手代に目くじらを立てていたのではないと思う。
切手を貼らずに手紙を送る行為を、娘だけが負担する文通を、娘がそういう扱いを受けていることを不愉快に思っていたのだと思う。
文通なのに、切手を寄越せと言うのはやっぱりおかしい。
私は子供ながらに自分が大切にされていないことに気づいていた。だけどそんなこと簡単に認められなかった。
そして、届いた手紙には、元気?私は元気。というような簡単なメッセージと、コピーされた手書きの新聞のようなものが入っていた。
そして、次の新聞を受け取りたければ、100円送れ。という内容が書かれていた。
小学4年生くらいだった私でも気づいた、これはビジネスだ。
私はペンフレンドではなくカモだった。
相手は確か小学6年生。
本当かどうかはわからないけれど、手書きのその新聞は確かに子供が書いたものだったように思う。
請求金額も子供のお小遣い稼ぎにピッタリだ。
当時から筋金入りのケチだった私は、もちろんそのペンフレンドとはサヨナラした。
本当に小学6年生だったとしたら、随分図太い小学生だと思う。
彼女にとってペンフレンドはカモなのだ。
営利目的で人気雑誌にペンフレンドを募集する、切手を貼らずに手紙を送る、会報を作り会費を集める。
田舎者の私なんかそんなこと思いもつかないし、思いついたとしても、なんだか怖くてできなかったと思う。
その子の親はどう思っていたんだろう。
全国各地の知らない子から娘に手紙が届く、娘は筆まめな文学少女だと思っていたんだろうか。
もし、本当に小学6年生の女の子だったとしたら、彼女は今45歳くらいだろう。
実業家にでもなっているのかな。
私と同じように、誰かの母となり『人にやさしくするんだよ』なんて言ってるのだろうか。
そんなことを思い出した。
私は、時々、3年に1回くらいこのことを思い出す。
思い出す時はたいてい、あの子図太かったな。と思うだけ。子供のクセにあんなことするやつおるんやなぁ。と思うだけ。
だけど、きっと小学4年生の私は傷ついていたのだ。
初めてできたと思ったペンフレンドに大切にされなかったことに傷ついたのだと思う。
だからって、まさか今も心に傷が…なんてことはない。
当時も傷ついたつもりはなかったけれど、薄く薄く傷ついたんだと思う。
嬉しかったから、年上のペンフレンドができたと思って嬉しかったから、ちょっと心がかすったのだ。
その後、一度もペンフレンドはいない。
彼女?もしかしたら彼かも知れないし、おじさんかも知れない。が、最初で最後のペンフレンドだ。
 
  
  
  
  
コメント