金曜日、長男と火垂るの墓を観た。
次男は途中参加となった。めんどくさいから無理には誘わなかった。
私の記憶からすっかり抜け落ちていたシーンもあり、改めて苦しかった。
14歳の清太は、幼い妹と生きようとした。
たった二人で生きようとした。
あの時代を、たった二人で生き抜くつもりだった。
どうしても我が子と置き換えてしまう。
16歳の長男と、13歳の次男がたった二人で生きる。
まだ、二十歳にもならない息子を、特攻に奪われる。
今の時代では考えられない。私には考えられない。
今、私の息子に赤紙が届いたら、私は非国民と言われようが息子を隠す。
『息子は家出しました』と嘘をつき、床下に隠す。
日中は戸を締め切り、深夜に外の空気を吸わす。
私は絶対に息子たちを戦場にはやらない。
赤紙なんか届いたら破り捨てて天皇に文句を言いに行く。
ふざけんな、私の息子に指一本触れさせるか。
と、とても受け入れることはできない。
でも、そういう時代だったのだ。
そういう時代だったのだ。
時代が違っただけ。
生まれた時代が違っただけなのだ。
これは、【清太と節子の特別な話】ではなく、こういうことが日本中あちこちであったわけで、あっちでもこっちでもいっぱいいっぱいあって、誰もが苦しんだわけで。
なんなら日本だけのことじゃなく、当然対戦相手の方でもあったわけで。
そして、今、この瞬間もまだあるわけで。
なんでかなぁ・・・。
と、愚かで無力で、なんでかなぁ・・・。と、なんとも言えない気持ちになるのだった。
なんとも言えない気持ちになるしかないのだった。
翌日、ネットニュースでは、7年ぶりの地上波放送となった『火垂るの墓』が話題に上がっていた。
私と同じような【子供達と観ます】ってのが、SNSでトレンド入りしているとか。
戦後80年。
本当は節目だけじゃなく、いつだって思い返すのが良いのだろけれど、今を生きる私達も今を生きるだけで精一杯で、なかなか戦争のこと、戦争を生き抜いてくれた人々に思いを馳せることができなくて、結局節目を頼りに、少しだけ、ほんの少しだけれど、思いを馳せるのだけど。
ほんの少しだけれど、同じように今夜子供達と一緒に火垂るの墓を見ようと思った人が、日本中にたくさんいたことは、嬉しいような、ほっとしたような、これまたなんとも言えない気持ちになったのだけど。
その気持ちに水を指すように、
『この時代にテレビでこんな映画を放映していいのか』という意見が出たと聞いて、もうなんとも言葉に表せない気持ちにもなったのだった。
言葉に表せないというか、なんと言っていいのかわからない。
どこから話せばいいのかわからない。
どこからそういう発想になるのか、どう話せばいいのか言葉が見つからない。
そして、そのなんとも言えない発想を、生涯の伴侶に選んだ夫も持っていることが、私はもう、なんとも言えない。
だから一緒にはいられない。
そう思う日だった。
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