8.4 ふんばる禅

先日、禅体験に行ってから、毎日欠かさず10分ほど坐禅を組んでいる。

ヨガから瞑想に興味をもち、1年くらい前から毎日の瞑想が習慣になりつつあったのに、気づいた時には何故か瞑想をすることを忘れていた。
なんとも情けない。

そして、先日禅体験に行ってから今日まで毎日欠かさず坐禅を組む時間を持てている。
禅体験で、とにかく毎日、5分でもいいから毎日。と、強く毎日継続することを勧められたので、5分でも毎日続けようと思っている。

呼吸の数を数える。
1〜100まで数える。
途中、思考が出てきて呼吸に集中できなくなったらまた1から数える。
100まで数えたらまた1に戻る。
これがなかなか難しい。
邪念が多すぎて、20まで数えるのも困難だ。
たった20数えるだけでも、実は途中何度か別のことを考えている。
5か6か、それくらい数えるだけで、ちらちらと別のことが浮かんでくるのだ。
だけど達成感を得るためにちょっと大目に見ている。

先日、坐禅中に夫が起きてきた。
足音だけでもうるさい夫。
扉の開け閉め、オーブンの開け閉め、食器の出し入れ、椅子を引く音、生きてるだけでうるさい夫。
あぁ、イヤだなぁ。と思いつつ、呼吸に集中した。
夫に坐禅の時間を邪魔されたくなかったのだ。
夫に心を乱されることを認めたくなくて、必死で呼吸に意識を向けた。
あろうことか、途中話しかけに来た夫。
もちろん返事をすることなく、ただひたすら乱されまいと呼吸に意識を集中させた。

気づけば呼吸は60を超えていた。
その後も思考に邪魔されることなく、はじめて100まで数えることができた。
厳密に言えば、途中【夫に邪魔されるまい】という思考が出てきたと言えるが、まぁ御愛嬌ということで。

それ以来、邪魔されるまい、心をみだされるまいと、踏ん張ることで呼吸に集中でき、50以上数えられることが多くなってきた。
頑張るとか、我慢するとか、耐えるとか・・・坐禅や瞑想のイメージとちょっと違う気もするが、私のような邪念の塊みたいなタイプにはこういうやり方もあるのかもしれない。と思ったり。

まだまだ心穏やかに座れる日は遠いようだが、それでも私は坐禅を組む時間が好きだ。

今日もう一度、寝る前に座ろうと思う。


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