先日、母と映画『国宝』を観に行った。
私はまだ原作を読んでいないが、母は本が出てすぐに一度読んでいたそうだ。
ネットで『国宝』の記事を読んで、観に行こうと思っていたところ、母も観に行こうと思っていたらしく、イオンまでの電車とバスの乗り継ぎを調べていたのだ。
10年ほど前にできたイオンの映画館に行くのは初めてのようだった。
行き方を調べるのは楽しそうだったが、この炎天下の中、70を超えた母にバスと電車を乗り継いで一人で行かすのは不憫に思え、私の休みに合わせ、車で一緒に行くことにした。
楽ちんだし安心だ。
チケットは事前に予約しておいた。
席は通路に近い席を取っておいた。
高齢の母のことを思うと、途中トイレに立つことが予想される、何しろ『国宝』の上映時間は3時間だ、私でも不安になる。
上映1時間ほど前に到着し、少しキッチン雑貨のお店なんかを見て回った。
それでも上映まで30分以上時間があったので、お茶でもしようかと思うところだが、やっぱり今あまり水分をとりたくない。
カフェにでも入ってしまうと、カップ一杯のコーヒーを飲んでしまうだろう。
結局、ワッフルを買ってベンチで食べた。各自持参していたマイボトルで必要な分だけ水分を取った。
上映時間になり、トイレに行っておこうと母を誘うと、母は
「お母さんまぁええわ」と。
冗談はよし子さんだ。
そんな馬鹿な。家を出てから一度もトイレに行ってないではないか、私でも一応行っとくよ!
なんとか、トイレに行ってもらったが、母はどうせ途中で1回は行くから今はいい。と言うつもりだったそうだ。
吹っ切れるとそういう思考になるんだと驚いた。
席は、通路側がいいが、できたら少しでも真ん中(スクリーン正面)に近いほうがいいと、少し欲張って通路から4番目5番目を取った。
そんなに混んでいないようだったので、わざわざ隣に座りに来る人もいないだろうし、できたら1つ以上開けて座りたいと思うだろうと。
空席と思ったが、既に1番目2番目には初老の男女が座っていた。
欲張らず3番目4番目にしておけばよかったと少し後悔した、さすがに空いている映画館で1席も開けず隣には座らないだろう。
途中、母がトイレに立つだろうこと思うと、2人の映画鑑賞を邪魔することが予想され、申し訳なく感じた。
よく考えたら、みんな同じことを考えるのだ、隣の初老の2人も同じことを考え通路側を優先したのかもしれない。
席について予告が始まると、映画館の暗さに不安を覚えた。
この暗闇の中、母は一人でトイレに行けるだろうか?足元は大丈夫だろうか?ついて行くべきだろうか。
私としても、映画の途中で席を立つのは残念だが、万が一階段でこけでもしたら結局映画どころではなくなるのだから、やっぱりその際はついて行こうと思った。
2人も前を横切ることになり、お隣のご夫婦に更に申し訳なく感じた。
そんなことを思っていた。
そしてもう一つ不安なことがあった。
母は耳が遠い。
3時間の上映、ほとんど聞き取れなかったではあんまりだ。
補聴器も持っているが、補聴器は大きな音がものすごく大きく聞こえるらしく母はなかなか補聴器になれることができず普段は外していることが多い。
その日はつけてきていたが、映画は急に音が大きくなることはよくある。
心配したが、音はよく聞こえると言っていた。途中音が大きくなったりすることはあるだろうが、申し訳ないがそこは片方外すなり、その時だけ外すなり、自分で上手いこと調整してもらうしかない。
映画の最中も、いつ母がトイレに行くといい出すか気がかりではあった。
高齢の母と映画を観に行くというのは、普段気にしないことも色々気になり、落ち着かないものだった。
きっと、私が子供の頃、映画館に連れてきてくれた母も同じようなことを思っていたんだろうな。
映画『国宝』はすごく良かった。
ここでは映画の感想を細かく書かないが、すごく良かった。
3時間なんてあっという間で、映画を見たというより一つの舞台を観たような感覚だった。
途中、私はふと思った
【私たち、この後、映画の感想とか言い合ったりするのかな?】
映画を見た後、お茶でもしながら感想を言い合う・・・のがあまり好きではない。
誰かと映画を見た時は、相手が楽しんでくれたかは気になるが、誰々がどうだった、あのシーンがどうだった、結局こういうことだと思う・・・と、お互いの細かな感想を言い合うのはあまり好きではない。
母と映画を観に行くのはもう何十年ぶりだろうか?
ひょっとすると小学生以来かもしれない。30年以上ぶりということだ。
誰かと初めて一緒に映画を観に行くと、この人は映画を見たあと、そういう話をするタイプなのか?と探ってしまう。
映画を観たら、必ずそういう流れと言う人もいる。母はどうなのだろう?
私は母の映画鑑賞スタイルを知らない。
上映が終わり、余韻に浸りつつ出口に向かう。
いつ感想を聞かれるのか、いつ母が感想を話し出すのか、どきどき?ひやひや?していた。
暗い館内から外の明かり眩しく見えてきた頃、母が
「次は歌舞伎やな」と言った。
そう。まさにそう思っていた。
1つの舞台を見た感覚になっていた私は、次は歌舞伎を観てみたいと思っていたのだ。
上映中、ずっとそう思っていたのだ。歌舞伎を観てみたい、私にも観れるかも。と。
そこからは、帰りの車の中でもずっと歌舞伎の話をしていた。
映画の感想ではなく、歌舞伎の話と、原作の話。
途中、ブックオフに寄った。原作を読んでみたくなったのだ。母も原作を強く勧めた、映画とはまた違う感動があるそうだ。
何度もブックオフで国宝の単行本を観ていたが、難しそうなタイトルだったので手に取っていなかった。
残念ながら国宝はなかった、そりゃそうだ、私が考えることはみんな考えている。
新刊を買えばいいことだが、まだまだ積読が富士山級にあるのでとりあえずまた今度にした。
結局、母が上映中トイレに立つことはなかった。
補聴器の調子も良かったようだ。
私の心配は取り越し苦労だった。
上映後、売店を覗いたが、『国宝』のグッズはなかった。
あったとて、『国宝』のグッズを買うかどうかは微妙だが(笑)。
一度映画館を出たが、私は館内に引き返した。
パンフレットを買おうと思ったのだ。
パンフレットは毎回買うタイプではない。これまでも何冊か持っている程度だ。
でも、私は引き返してでも買っておきたくなったのだ。
これは、私が【母と映画に行った】思い出なのだ。
私はいつか、いつかこのパンフレットを観ながら母のことを想う。
そしてそんな日は、そんなには、そんなには遠くないのだと思う。
そう言えば、父と映画を観に行ったことは一度もない。
いや、もしかしたらドラえもんとか観に行ったことがあるのかもしれないが、私の記憶では一度もない。
きっとたぶんもう今後もないだろう。
いや、機会があれば一緒に行ってみようか。
いや待てよ。
父と母2人連れての映画館はど〜〜〜っと疲れる予感がするぞ。
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