話を切り上げられなかった私

若い頃、話を切り上げるのが苦手だった。

中学生の頃、近所の同級生と一緒に下校することがあった。
その子の家は、私の家から10メートルほどのところ。

明日も会うし、わざわざ話し込むこともない。
なんなら、そもそもそんなに気の合う友達ということもなかった。
学校に行けば、それぞれ違う友達と過ごした。
待ち合わせて帰ったわけじゃないけれど、方向が同じだから、時々一緒に帰っていたのかも知れない。
正直、どうして一緒に帰っていたのかわからないほどの仲だったと思う。

もともと、私はとてもおしゃべりだ。
おしゃべりだし、おしゃべりキャラを自覚していたから、外に出れば『私が喋らないと』という気持ちがあった。
おしゃべりが好きだし、話したいことがたくさん浮かんだし、周りの人もよく笑ってくれた。
私はおしゃべりだから、いつだってよく喋らないと。という気持ちがあった。

学校帰り、家の前で話し込んでいると、近所の人達からは仲の良い幼馴染に見えただろう。
女子中学生、話すことが尽きないのだろう。と。
でも、実際はそういうわけでもなかった。
挨拶ついでに『暗くなるからそろそろ帰りなよ』と、言ってくれないかと思っていた。
私もそろそろ切り上げたいと思っていたし、友達なんかもっともっと早く帰りたいと思っていたと思う。
なんとなく、その空気を感じ取っても、私は話を切り上げることができなかった。

ここで話を終わらせたら、帰りたい。つまらない。と思っていると思われるんじゃないか。
そう思って、切り上げられなかったのだ。
この時間が楽しい。そう思ってると思われるのが、相手にとって良いことだと思って、次から次へとつまらない話を続けたのだ。

本当にいい迷惑だ。
本当に勘弁していただきたい。
空気の読めないおしゃべりだと思われていただろうが、私は私なりに頑張っていたのだった。
空気を読み間違えていたというのかな。

そういうところは高校生になっても変わっていなかった。
高校生になると、友達と夜な夜な電話をした。
毎日会うのに、毎日、毎日話したいことがいっぱいあって、話が尽きなかった。
今度は本当に、気の合う友達で、お年頃なので好きな男の子の話をお互い永遠と言っていいほどしていたのだ。
電話を切れば、今度は手紙を書いた。明日友達と交換するのだ。
電話は今みたいにスマホなんかじゃない、家の電話の子機だ。
襖隔てた隣の部屋に姉がいない時はハンズフリー機能で楽に話したが、隣に姉がいる時は重い受話器を耳に当て長時間話した。
今思えば、ハンズフリーでなくとも、私の声は隣の姉にも聞こえていただろう。十分片思いの男子の話をしていることはわかっていたと思う。なかなか恥ずかしい。
そして、電話代は如何ほどだったのか。
腕が疲れ、耳が痛くなり、夜が更けてもなかなか電話を切ることができなかった。
このときも、電話を切りたがるのは相手に失礼だろうという思いがあった。
お互い、声に疲れが出てきて、会話も途切れ途切れになっても、素直にそろそろ寝よう。と言えなかった。
ちょうどいいところで、家族にお風呂に入るよう言われると、自分から話を切り上げなくてすんでホッとした。

それは、二十歳を過ぎてもまだ続いていた。
小さな同窓会の帰りう、友人2人が車で私を家まで送ってくれた。
それはとても久しぶりの再会で、友人の1人は高校卒業以来だった。
送ってくれたついでに、家に上がってもらい少し話すことに。そこからが長かった。
久しぶりの再会で、確かにみんな喜んでいた。話も盛り上がった。
でも、やっぱり12時を回ればそろそろ疲れてもくる。
夜が深まり、外の静けさも感じる。
それでも私の悪い病気が出てしまった。
ここで、『そろそろ』『さぁ』と言ってしまうと、久しぶりの再会を喜んでいないと思われるのではないか。と。
友人の1人は、あくびをこらえていた。
彼女たちの家は私の家から車で40分ほどかかる。
話も尽きてきている。
それでも『もうこんな時間だね』の一言が言えなかったのだ。

誰がどうやって切り上げたのか思い出せないが、彼女たちを見送りながら、私もホッとした。
同時に、もう来てくれないだろうな。とも思った。
彼女たちが帰った後も、今頃2人で『長かったね』『疲れたね』って、話してるだろうな。とも思った。

そこまでわかっているのに、どうして話を切り上げることができなかったんだろう。
今となってはそう思うけれど、その時は相手が疲れていることはわかっても、それ以上にこの時間を切り上げることが失礼に思い、そうできなかったのである。

そんな私はもう20年前。
今は先頭切って話を切り上げられるようになった。
今だ!というチャンスを逃さない。
『そろそろ』の空気を感じ取ったら、話を切り上げるタイミングを見計らい、スパーッと切る。
そういう風にできるようになると、みんなが笑顔でサヨナラできるようになったのを感じられるようにもなった。
なんなら、みんなからの『ええとこで切り上げてくれてありがとう』の心の声が聞こえる気すらする。

どうしてあんなに無駄なおしゃべりをしてしまったのか。
本当に申し訳なく思う。
でも、あの時はあの時で、私は一生懸命だったのだ。
ありがた迷惑な一生懸命だけど、一生懸命喋り続けたのだ。
そして、私もしっかり疲れたのだ。

本当にごめんとしかいいようがないけれど、私は若い頃そんな子だった。








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